2012年1月24日
昨2011年のレコード大賞は、AKB48が獲得しました。前年、有力候補でありながらEXILEにさらわれた悔しさが重なったからでしょうか、メンバーは泣きわめいて歓喜。これで、超一流のレッテルを手中に収めることができたというわけです。
AKB48は、「会いに行けるアイドル」をコンセプトに秋元康氏が立ちあげたとのこと。秋葉原に専用の劇場を持ち、チームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行っているようです。メディアを通して見る、それこそ遠い存在だったアイドルを身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらいという趣旨です。
当初は全くの無名で、関係者からの期待も薄かった。しかし、口コミなどでアイドルファンを中心に話題となり、徐々に専用劇場が連日満員になっていくのでした。人気の上昇に伴って、本業以外でも個々で活動するメンバーが増えているようです。秋元氏の熱の入れようは大変なもので、次々と施策を講じます。演出家としての秋元氏の面目たるや躍如、といった感じです。
これだけ興業として大成功なのですから、アイドル産業といっても差し支えない。でも産業というと、資本家なる収奪する側と、収奪される側の消費者がいるというように経済的論理が介在します。でも秋元氏の考え方は、世の中にはアイドルになりたい若者がおり、アイドルに憧れる若者がいる。ならば両者を合体させようとしたわけで、アイドル・プロジェクトという表現がベターでしょうか。
3歳から12歳までの児童の保護者を対象に2010年12月に実施された「バンダイこどもアンケートレポート」によると、AKB48は、「お子様の好きな芸能人」の総合2位にランクインしているとのこと。
かつて秋元康氏は「川の流れのように」を作詞し、美空ひばりに提供しました。わたしは思いました。老齢期に入って、病に苦しむ美空ひばりへのイメ-ジとしてはピッタリ。だが青少年のキャリア形成を推進する立場からすると、トーンは全く逆だ、と。流れに棹をさす気概、激流を乗り越える強さ、積極的に人生を切り拓く主体性こそが説かれるべきだからです。
同じような思いが、アイドル・プロジェクトについても頭と心の中を走りました。アイドルへの憧れ自体は、そうそう批判も避難もできないでしょうか。しかしながら日本の社会が、アイドルになりたい若者であふれ、アイドルを追っかけまわす青少年が街を埋める。学習を怠り、遊びっ気ばかりのる青少年が増える。かかる社会現象が、波及効果として蔓延るとしたら、日本の将来はどうなるのだろうか。
AKB48を主題にしたTV番組によると、メンバーは凄く鍛えられるようです。行く先を諦めていたが、元気を取り戻した少女もいます。でも煽られるだけで願いが叶わなかった若者は多数います。一番怖いのは、フワフワした軽い青少年がはびこることです。
わたし自身には、ロンドンのウォータールー橋に佇む女優イングリドバーグマンっていいよねといった感じの憧れは昔ありましたが、のめり込むことはなかった。
2007年には「アキバ枠」で『第58回NHK紅白歌合戦』に出場するものの、当時は「秋葉原のオタク向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、世間の関心は薄かった[2]。しかし、2008年にシングル「大声ダイヤモンド」で本格的にブレイク。2000年代のCD不況の逆風の中ヒット曲を次々と生み出し、いわゆる地下アイドル出身で史上初めてミリオンセラーを記録し、メディアから「AKB現象」「国民的アイドル」と呼ばれるほどの人気を博した唯一の例となる[2]。CD総売り上げは、2011年10月26日の23枚目シングル「風は吹いている」発売の時点で1034万枚となり、日本の女性グループとしては4組目の1000万枚突破を記録[3]、21世紀にCDデビューした日本のアーティストでは最高売上を記録している。
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2012年1月17日
昨年末のNHK紅白歌合戦を視聴して感じ入ったことの一つは、嵐という若者エンターテイナーたちの活躍ぶり。そのことは、先週のブログで書きました。感じ入ったことの二つは、「アクティビティー」とセットの歌う「チーム」が、数多く登場したという点です。
まず紅組ですが、出場順に、AKB48、KARA, Perfume,少女時代の4組。いっぽう白組に登場したチームは、NYC,FUNKY MONKEY,AAA、ポルノグラフィティ、猪苗代湖ズ、L‘Arc~en~,TOKIO,ゆず、東方神起、嵐、EXILE,SMAPという13集団。韓国と中国を含みますが、集団の出場者が半数を超えています。
もう一度書きますが、ここで語ろうとしていることは、キーワードで象徴するなら、アクティビティーとチームです。これこそ、時代の最先端をいく仕事集団の特性です。
さて後者のチームのことですが、グループとチームは同じではないことを、皆さんは承知しているでしょうか。
人々の集合体は、もともと共通の関心をもつ人々の集まりですが、グループはそれ以上の要件は必要とされない。いっぽうチームの場合は、関心の中身が具体的であり、目的、そして目標という性格をもっている集合体です。たとえば遊び友達や飲み仲間の場合は、チームとはいわず、仲良しグループという。スポーツの集合体であれば、グループとはいあわず、サッカーチーム、バスケットボールチームという。
チームの場合は、めざすゴールを達成する、あるいは課題を成就することが基本命題。したがって、役割を決める、コミュニケーションを密にする、結果を評価するといった活動が伴います。集団主義という用語がありますが、グループの場合は、個人が集団に埋没しがちです。ところがチームでは、個人がそれぞれ生きて(活きて)います。
先週取り上げた嵐は、こういった意味で「チーム」なのですが、上にあげたエンターテイナー集団もまた、間違いなくチームです。
チームというと、とかく、メンバーが一丸となるとか結束するという行動様式が想定されがちです。ところが紅白に出場したエンターテイナーチームの場合、どのメンバーとも自由にステージを歩きまわっています。右に左に、前に後ろに、ジェスチャーをつけながら行き来する。束縛どころか自由人そのままです。
それなりに訴えたい思いがあってのことでしょうが、この動きは、観る者をしてアクティブにします。人によっては、一緒になって体を動かし、手を振ります。興奮し、惹きこまれます。これすなわち、演者がエンターテイナーであることの証拠です。
難しい仕事を遂行するうえでは、メンバーが持つ「知が集積され」、メンバーが身につけている「力がつながる」ことが必要です。それには、仕事集団が、アクティビティーを組み込んだチームであることが望まれるかと思います。
年末の紅白歌合戦を視聴することで、わたしはこんな学習をしました。
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2012年1月11日
大晦日恒例のNHK紅白歌合戦、昨年の司会を務めたのは、前年に引き続いて嵐。嵐はこの正月も、引き続きテレビで大活躍。新年の抱負を、元旦の新聞紙上で、メンバー5人はこもごも語っています。
見てくれる人たちがポジティブな気持ちになれる瞬間をたくさん作りたい(松本潤)。番組ごとの「味付け」を追求したい(二宮和也)。番組という決った形の中でも、新しいことに挑戦していきたい(相葉雅紀)。変に気負わず、今まで通りの嵐を見せていくこと(大野智)。ニュースの現場へたくさん足を運んで仕事の幅を広げたい(櫻井翔)。
わたしもNHK紅白歌合戦は視聴しましたが、「嵐」のことなんて、何にも知りませんでした。その存在自体、承知しませんでした。変なグループが司会しているな、ぐらいの感覚でした。今にして思えば、何とも時代遅れの、いや時代錯誤も甚だしい大人でした。
実は「嵐」が時代の寵児であり、かの5人の若者が優れたエンターテイナーであることを知ったのは、元旦の新聞を一瞥してからです。変なグループどころか、優れたエンターテインメントの仕事チームだと知らされました。
わたしも音楽は好きです。クラシックのCDは軽く300枚ほどは所持していますし、懐かしのメロディーなどもテレビでよく聴きます。でもポップスの類となると、まるで関与せざるところでした。
そればかりか、大きな会場にたくさんの若者が集い、大きな音量で演者と観衆が一体となって繰り広げられるコンサートを苦々しく感じていました。わたしにとって音楽は、ひっそりと静かに「鑑賞」するものなのです。
それが、元旦の、嵐を主題にした新聞報道によって、反転させられることになります。某紙が嵐を、大きな姿写真つきで、大特集を組んでいるのです。メンバー5人は、ここでも、このごもメッセージを発しています。フジテレビの某氏は「自然な表情を見せてくれる」、TBSの某氏は「五人五色が多彩さのもと」と語ります。
そして日本テレビのあるプロデューサーは、こう語ります。「扉を開けた先に何があるかわからない」っていう状況を楽しむ余裕と度胸がすごくあるし、未知の怖さやドキドキを5人でうまく分担しながら楽しんでいる感じがします、と。
有識者からこれだけの評価を頂戴していることを知らされると、わたしは、自らの無知と誤解を改めざるをえません。「嵐」は、現代を代表するエンターテイナー集団、素晴らしい「仕事チーム」なのだと認識を変えました。社会は、新しいタイプのエンターテイナーを必要とした。嵐は、それに応える形で登場することになった職業軍団だと認識を変えました。『嵐のチカラ』と題する著作も出版されていることを、つい最近知りました。
もっとも嵐は、必ずしも先駆者ではありません。周知のことでしょうが、SMAP、そしてEXILEという先輩格のエンターテイナー集団が存在します。
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2011年12月26日
(1)どんな職業に就いたらよいか分からない
わたしの授業を受けたある学生は、「職業の意義なんて、これまでの考えたこともない」と言い放ちました。男子の3年生ですが、こんな学生はけっこう多い。
その故でしょうか、学生たちは、異口同音にこう言います。
●世の中にどんな職業があるのか知らない
●どんな職業が自分に向いているか分からない
●自分のやりたい仕事が見えない
●どんな職業に就いたらよいか分からない
むろん前向きな学生はいます。ある学生は、「自分には、やりたい仕事がある。その仕事のことを、いま一生懸命になって調べている」とゼミで発言しました。
また「学生だって、考え、考え、考えている。ただ、どうしてよいかわからない」と発言した学生もいます。
分からないのは、「自分らしい生き方なんて、現状ではとても無理と思っているからだ」とある学生が言葉を添えました。ここから、学生の意見交換が活発化しました。
(2)社会がおかしい、学生もまた悪い
・われわれが職業意識を希薄化させているのは、社会全体が低迷しているせいだ。
・失業率が年々高まり、給与がカットされている現状で、社会に希望をもてるわけがない。
・社会が大きく変化している中では、自分の将来は、いくら考えても見えてこない。
・終わりのみえない経済低迷と社会不安、自分は何をやったらよいやら。
・恐らくサラリーマンの現状を垣間見ると、サラリーマンの将来が悲観的だからだろう。
とそうこうするうちに、社会に向けられていた矛先は、学生たちにむけられはじめます。
・不景気なのをいいことに、学生は真剣な努力をしない。
・自分の将来について、食べていければいい、やりがいなどいらない、普通でいいんだという考え方の持ち主が非常に多い。腹が立つ。
・自分を高める、自分を大切にする、自分のために努力することに無頓着な学生があまりにも多すぎる。
最初は、学生への面倒みが悪いと、大学の在り方が批判の対象にすえられていました(10/18に配信)。めぐりめぐって、学生は自己批判に辿りついたようです。
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2011年12月19日
(1)メンターとは人生の良き指南役のこと
オデュッセウス王は、トロイ戦争に勝利した後、ゼウス神の怒りにふれ諸国放浪を余儀なくされました。オデュッセウス王から息子テレマコスの人生指南を任された盟友のメントルは、良き理解者としてテレマコスを支え、有益な示唆と助言を与え、立派な指導者に仕立てます。メントルは、いわば人生の知恵者であり賢者です。
後世において西欧では、メントルは転じて「メンター」となり、良き指導者、助言者、支援者、教育者をさすことばとなっています。
いま日本社会は、大きな変動期にあります。新しい原理による、新しい秩序を求めて揺れ動いています。働くことの意味も問い直され、働き方は一挙に多様化しはじめました。このことの原因なのか、あるいは結果なのかを含めて、生き方や生きる意味が、これまでの枠組みでは捉えがたくなってきています。
一方で、ちゃんと生きていけるかどうかという不安があります。就職難、年金支給額の減少と医療費負担の増額、国家財政の破綻と国際競争力の低下、次世代層の無気力化などなど、生活の将来には心配事が多い。そもそも、国や企業(勤務先)からの援助が先細り傾向にあります。これまでとは異なり、自分自身が相当に頑張らないといけません。
(2)キャリア形成の真の支援者とは
更にもう一方では、もっと自分らしい、納得のいく生き方をしていきたいという人生願望が膨らんできています。経済的な面で満たされない分を取り返すという背景もあるでしょうか、人々の「脱物質主義」や「脱地位志向」は相当に深化してきています。
要するに、現実には先行き困難な局面が予想されるなか、充実した生き方への希望は抑えがたく増幅していく。となれば人生は、相当の工夫と努力なしでは前進しません。しかしながら、一個人の力量には自から限度があります。
転機を乗り越えるうえでは4つの「S」が不可避だということを、先に述べました(転機を機会に転換させる、11/28配信)。その一つは、supportのS。望ましい生き方・働き方を模索するうえでは、良きキャリア形成支援者の存在が大事です。
いまやわが国にも、多くのキャリア支援者が輩出されました。一般にはキャリアカウンセラーと呼称され、キャリアアドバイザー、キャリアコンサルタントとも言われます。でもわたしは、世事に通じ、人間としての豊かさを身につけ、教育と指導のできるキャリアメンターこそが最も強く要請されているのではないかと思います。
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2011年12月12日
(1)何が起こるか分からない
この人は警察官僚から弁護士になり、60歳を前に引退し、大阪の生まれながら北海道で住むことにしました。自らの生き方を「不連続人生」といっていますが、旧弊に流されることを嫌う清新な精神、新しいことへの挑戦力といった心性、それに人生を謳歌することへの強い意志が、職業やライフスタイルを変わらせ、人生航路のルートや航海の仕方を変えさせたと思われます。
因みに、この人は、大学を出た後いちど都市銀行に就職しています。だが5日で退職してしまったのです。入ったその日に、「違う」と思ったというから、先見の明と決断力には驚かされます。
(2)自問自答のすえに
そのものずばり『「人生リセット」カタログ』(東京書籍)と題する書物をのぞくと、「新たな生き甲斐に出会い、もう一つの人生を選択した12人のケース」が登場します。
離婚し、二人の幼子をかかえて看護婦として働いたあと大手証券会社に転職し、営業のトップレディになるが「ナンバーワンではなく、オンリーワンになりたい」と老人病院の情報配信をはじめた女性が登場します。
また46歳で短大の教師を辞め、オイスターバーを経営しながら「中高年の男性を救いたい」と心理相談室を開設した男性も登場します。
さらには「これまでの人生を白紙に戻すために」脱サラし、2年間妻と二人で海外生活をし、とにかく遊びまくり、人に優しい医療機器の開発に従事している中年男性も登場します。
ここに登場する人たちは、ひとしく、「これでいいんだろうか」と自問することから人生のリセットを決意しています。こういった人々には、おそらく秘めた人生ビジョンがある(あった)のでしょう。
それが実現されないままの人生空しい。人生に悔いを残さず、自分なりに納得した人生を送ろうという思いが、ノンリニアーな人生への動因になっているようです。
しかしながら、自分の考え方や思いだけで転身はできません。かくも困難な雇用環境、狭隘な転職市場です。キャリアが演じられる社会的舞台がどんな構造になっており、どんな空気がそこに流れているか。その点をよく弁えておくことは不可欠です。
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2011年12月5日
(1)人生は変幻自在な行進です
人生の転機はいつでも、どこからでもやってきます。これが現代社会の偽らざる現実であることを、近年のキャリア論は鋭く説きあかします。人生のリセットは、いまや日常茶飯になってきたようです。
たとえばコリンとヤングは、このことをnon-linearという用語で抽象しました。人生行路(人生航路)は一直線に進むわけではなく、ましてや右肩上がりに昇っていくことなど稀だということです。
アーサーとルーサーの用語を借用するなら、文字通りboundaryless career(境界を越えた生き方・働き方)ということになります。
同じ土俵でのキャリア開発は一般的ではなくなり、一人の人が生涯で経験する職業や働き方や勤務先は、多彩なものになっています。
さらにまたホールは、こういった人生のリセットを、protean careerという用語で抽象しました。日本語にすると「変幻自在なキャリア」ということになりましょうか。
(2)納得のいく生き方をめざして
たとえば医者が法科大学院に進学し、検事が福祉事業の世界に身を投じる。あるいは銀行員が棋士や作家や事業家に転身し、会社員が大学教師やコンサルタントや漫才師やミステリー作家になる。
辞書をひくと、変幻とは「姿がたちまち現れたり消えたりすること」。これが自在というほどの変身は、ありえません。それ相応の準備は不可避ですが、これほどのことが、いまやこういったことは、決して珍しくないということでしょう。
こういった人生のリセットが現実化した背景には、二つの背景があるでしょうか。
一つは、グローバリゼーションの進展とIT化の進行です。これによって社会は大きく変わり、新しい事業分野が創出され、新しい才能と人材が求められるようになりました。
もう一つは、生きること、働くことに関する人々の考え方や捉え方や思いが大きく変わったという点です。経済的な豊かさや地位の安定をめざして、ただただ懸命に働くことをよしとしなくなった。納得した生き方をし、充実した生涯を送りたいと考えるようになった。人生というものに、新しい光が当てられるようになったということかと思います。
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2011年11月28日
何らかの出来事に遭遇する、あるいは予期しことが起こらない。これが、人生における転機(transition)です。病気になる、事業を経営していた親が亡くなる、思い通りに昇進しないなどは、そのうちで個人的要因による転機です。
高齢化が進む、IT革命が進行する、社会保障制度が変わるなどは社会的要因による転機です。会社が倒産して失業する、転勤を命じられる、希望した会社に就職できない、定年を迎えるなどはその中間でしょうか。
こういった転機に遭遇し、それとどう向き合い、どう対処するか。処方箋が必要となるわけですが、シュロスバーグ女史が提起するのは「4S」です。Situation(状況)、self(自己)、support(支援)、strategy(戦略)を点検することが不可欠であると説きます。
まず必要なのは、当面する転機に関する状況分析です。タイミングは良いか、どれほど主体性を発揮できるか、その後の人生とうまく折り合いがつくかなど、転機の特性と自分にとっての意義を点検するわけです。
ついで必要なのは、自分自身に関する点検です。経済力、知識・技術、人的ネットワークといった資源もそうですが、シュロスバーグ女史が強調するのは自分の性格です。転機に対処しうるパワー、特に精神的な強さや自制心があるかどうかです。
その次にチェックすべきは、周囲や外部からの支援体制です。友人、家族、知人からのサポートは貴重です。でも女史は指摘します。転機を乗り切るには、ライフ・プランニング・アドバイザーなどの専門家や、キャリア・カウンセリング・オフィスなど専門機関の支援がとても大事だ、と。
そのうえで戦略の立案とその実践ということになりますが、ここで大切になるのは「転機(transition)を機会(chance)に転換させる」という発想法だ、とシュロスバーグ女史は指摘します。転機を活用することでキャリアは大きく幅を広げ、同時に奥行きを深めるのに役立つというわけです。
選職社会とは、多くの人々が、こういった過程をふんで人生と職業の関係を主体的に見直していくような社会のことと理解できます。
キャリア創造に向けて「自分をつくり、つくりかえる」ことをめざす人が増えるなか、メンター(人生の指南役、良き相談相手)への期待はいっそう膨むことでしょう。
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2011年11月21日
(1)人生行路の選択
めざす方向やゴールをさがしながら、自分の人生行路(人生航路)をどう進めていくか。キャリアということばに関心をもつ人にとって、これは共通のテーマでしょう。
でも、いまの自分が、いまのままで今の自分を運ぶのは難しそうだということもあるでしょう。新しい自分づくりが、平行してなされる必要があるかも知れません。自分をどうつくり、どうつくりかえるか。そのことへの思いが、人々を悩ませ、そして迷わせているのが昨今の現実でしょう。
ときには、人生行路(人生航路)そのものを設計変更しなければならないかも知れません。運び方も変える必要があるでしょうか。方向も、ゴールも、乗り物も、エンジンも新しくしなければならないかも知れません。こう考えている人は、いま多いようです。
(2)途方にくれないで
ある人は、こう述懐しています。そのいえば、いまの仕事に、もう一つ充実感がない。同僚たちも同じような思いを持っているようで、組織にももう一つ元気がないように感じられる、と。
別の人はこう言います。時代が変わった、日本社会は大きな転換点に遭遇しているというけれど、実は自分自身も変わった。組織の発展にむけて誠実に働くことにやりがいを感じてきたけれど、もっと主体性が発揮したくなった。仕事の中に自分らしさをぶち込んで、晴れ晴れとした気分になりたい。そんな気持ちが段々と強まってきている、と。
また別の人は、いまわたしは、人生の転機にたっているのかも知れない。惰性に流されるのは、もういやだ。この転機がどういうものなのかを、このさいチェックしてみよう。転機とまじめに向き合ってみよう、ということでしょうか。
もともと人生は転機の連続ですが、現代社会ではなおさらのこと、転機はいつでも誰にでもやってくる。「途方にくれ」ていたら、荒波に流されてしまいます。
米国キャリア開発協会の会長職にあったシュロスバーグ女史は、1989年に一書をモノにし、こう述べています。キャリアは、それを乗りこえる工夫と努力を通して形成され、開発される、と。
タイトルは、そのものずばりOverwhelmed(途方にくれないで)。邦訳は『「選職社会」転機を活かせ』です(日本マンパワー)。
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2011年11月16日
セミナーの前半がおわって、しばしの休憩時間。二人の受講生が会話をしています。
(女1)人生の捉え方について2つのチェックシートが配布されたけど、あなた、やってみてのご感想は?
(男1)うーん、考えちゃった。すぱっと回答できないのって、人生について考えてなかったからかな、といま思っている。仕事や職場のことしか頭になかったけれど、要は生き方、人生の処し方だよね。これがぐらついている。曖昧にしたまま、というより、ほとんど考えてきていないんだよね、これまで。
(女2)そうね、わたしも仕事のことしか考えてこなかった。仕事のことって大切だけど、どう生きるかと連動させてない。生きるという人間の営みの中に、しっかり位置づけられていないよね、仕事って。
(男2)なぜ生きるかというより、どう生きるか。そこのところを自分なりに確認しておくことが重要みたいね。それが出来ていると、働くことの意味がはっきりしてくるというわけだよ。キャリア論は、確かに人生論とは違うね。
(女3)キャリアは創造するものだという捉え方、わたしごのみだわ。
(男3)それにしても、キャリアって、どういうことかな。もう一つ、はっきりしないんだけど・・・
(女4)その説明が、これからあるんじゃない?
セミナーが再開されました。
(講師)キャリアとは何かということですが、定義の前に、キャリアということばに込められた意味を汲み取ること、これが重要です。
まず確認しておきたいのは、carry(はこぶ)が転じてcareerになったという点です。
何を運ぶのかといえば、自分を運ぶのです。
誰が運ぶのかといえば、自分が(自分を)運ぶのです。
では動力源は何でしょうか、何が自分を運んでいくのでしょうか。それは広い意味での仕事です。現役の仕事人の場合、それは職業です。つまり人生を前進させ、発展させるのは労働であり、仕事であり、職業です。
いずれにしても、人生は「働く」ことを通して築かれると認識するのは、キャリア論の大きな特徴です。キャリアとは、そのようにして形成される人生行路(海路を辿るならば人生航路)と理解したらよいでしょう。
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